名古屋つれづれ・減

鳴海村が年貢減免などを求めた願書       元治元年11月(1864)

恐れながらお願いします。
 当村はずっと困窮しています。とくに十四年前の亥年(寛永四年・1851)は前代未聞の水難で、天白川・藤川・扇川の堤防が切れました。田地がすべて砂入・泥入になり困ってましたが、お上にご配慮いただき、ありがたき幸せでした。お陰で大変ですが御年貢や街道御用などを勤めてきましたが、内情を述べれば高持百姓はすべてつぶれてしまいました。亥年の八月二十五日にまた大きな水害があり、十四年前のように天白川・藤川・扇川の堤防が数ヶ所切れました。川の水が全体にあふれて田地が一面川になり、砂入り・泥入りなどの被害がありました。十四年前の水害により、田地の土がたいへん悪くなり、今だに以前のような肥えた土には戻りません。またまた今年の八月に水害があり、田の表土が洗い流されて、砂入りや泥入りになりました。開発したばかりの山方新田のように土が悪くなり、どれだけ肥料を入れて耕作しても、十五年、二十年間では以前のようにな本田の土には戻らないと、恐れながら思います。この水難について今年の春、お役人が砂入りの場所の検分にお越しになりましたが、ありがたき幸せに思います。しかし今度の検分は堤防が切れて田が砂入りになった場所だけが対象で、泥入りや薄い砂入りの場所は検分されませんでした。まことに難儀に思います。


この文書はまだまだ続きますが、今から150年ほど前の幕府へ納税減額嘆願書

お米が経済のすべてと言っても過言ではない時代

水害によるお米の不作は、当時の地主や小作人を苦しめた。


まだ機械化されない時代の農耕

助け合い・互助で生活、経済が維持され、お祭りや事あるごとの寄り合い

神社やお寺が村の中心となって、結び付けていた時代。


時代は変わり、現代はお寺の維持も大変

お祭りに参加する若者も減少で、地域の人だけでなく他の地域にも参加を求め

運営している地域も多いと聞く


個の時代とは言っても

個だけで生活できることなど何一つない。

人々は何処へ行こうとしているのか~~





追:在宅していても常に宅内電話は留守電昨日(機能)(笑)

 友人から電話があったらしい・が・(未登録)の番号で、知らんぷり

 3度ほど間をおいてかかっていたようで、「もしや!!」と思って番号を調べてみると

 新たなスマホから(スイス旅行中)掛けていたと判明。

 すまない・(笑)


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