名古屋つれづれ・減4

一、 お茶壺道中は以前から当宿にご宿泊されますが、その経費について、以前はお上から下されましたが、最近は下されません。そのため、その分もすべて高割りになりました。何とか宿の支出を減らしたく皆で検討しましたが、重要なご用なので、今さら取扱い方法を変更すると、手抜かりとなるだろうと存じます。このような宿の困難な状況についてご賢察いただき、ぜひ以前のとおり経費をお上から下されたくお願い申し上げます。
一、 宮様方やお公家衆の使者はもちろん、ご家族、家来の方はすべて、そのほか幕府のお役人様の従者や陪臣の方々、移動に伴うご通行の方々にいたるまで、当宿でのご休泊は一年中絶えずあります。これらの方々は旅籠代をお支払いになりますが、村方からかなり補充せざるをえません。また人馬の継立ては大事に勤めていますが、ときどき問題が発生し、宿役人がお咤り、お断りのため遠方の宿まで行かなくてはならず、この臨時支出もかなりになります。また宿役人はご用当のため江戸・京・大坂に招集されることがあり、宿の支出は増える一方で、たいへん困っています。
一、 当村は本田・新田・山方見取など広大な田畑がありますが、大雨で川の大堤や小堤が決壊し、何度か修理しました
また出水の時は天白川、扇川や枝川まで堤防決壊を防ぐために人足を雇いますが、その経費や縄俵杭竹代など、一年間でおびただしい支出になります。そのほか砂留・小杁・小橋が切れたり流失したりし、また古くなって朽ちそうなものについては、新規に作り直したり、修繕したりすることが絶えません。

鳴海村が年貢減免などを求めた願書      元治元年11月(1864)

その4


お茶壺道中
  ネットよりお借りしました。

国宝茶壺 橋立

   国宝 茶壺「橋立」

お茶壺道中 1613年に始まる

空の茶壺を京都 宇治へは東海道を通り、詰め終えた百個余の茶壺は

中仙道を通って江戸へと運ばれます。



名古屋つれづれ・減3

また十四年前の水害後の寅・卯の両(安政元年・1854と安生二年)は日照りや虫害が続き、間もなく今年八月の水害がありその被害大きく、高持百姓はつぶれざるをえません。もっとも小作の百姓は毎年の作柄により、地主から小作料を引いてもらえばよいですが、高持百姓はそうはできず困難な状況にあります。このあたりご賢察いただきたく恐れながらお願い申し上げます。前述のように大切な街道ご用のため、宿財政の支出がぼう大です。これらの支出はどこからでも補填できず、高割りになるので高持百姓はつぶれざるをえません。
もちろんどこの村でも村費は高割りにしていますが、当村は宿場を兼ねていますので、支出を高割りすると高持百姓の負担が大きく、このあたりご賢察ください。
最近とくに街道のご用が多く、先年は宿金というのが発生しました。この宿金で宿の支出をまかなうには、高割りでは無理です。宿金は現在1、471両余になり、先年は足りなくなりましたが、どこからも補填するすべがなく、やむを得ず高割りにせざるをえませんでした。このあたりもご賢察をお願いします。街道ご用については、朱印状を持って通る方々が、以前とは違い最近は著しく増え、また最近は重要なご用の方のご通行があります。とくにお役人様の付添いの方々がご宿泊の時、旅籠代の支払いが相場より少なく、その分は村方から補助せざるをえず、この支出が大きい状況です。


鳴海村が年貢減免などを求めた願書       元治元年11月(1864)

その3

昨日に続いて・・

鳴海一帯の水害は、東海豪雨(2000年9月)でも名鉄 鳴海駅浸水被害、大高町の一部も

甚大な水害にあっています。

また

大高には今も三軒の酒蔵が残っていますが

大高の祭り山車は、いたって地味な作りに比べ(秋祭りに山車は氷上姉子神社に集合)

blog_import_4fc3594020a9b.jpeg

鳴海には、宿場で栄えた頃の羽振りの良さ(笑)で、今も残る

祭りの山車は豪華絢爛  ↓

鳴海まつり  鳴海まつり1  鳴海まつり2  鳴海まつり3

年貢減免はまだ続きます。

名古屋つれづれ・減2

以前から当村は困窮しており、未納米や借金の返済のため、田畑にかかる村費が過分になって、先祖代々の高持百姓がこの十四、五年ですべてつぶれてしまいました。そのため個人の未納米は村で引請けざるをえず、合わせて1,650石余りになりました。また、つぶれた百姓の土地は471石三斗九升三合になり、さらに伝馬役がつぶれて村で引請けた分は十七疋ぶんになります。村役人たちでいろいろ相談しましたが、うつ手がありません。つぶれた百姓の田畑はとくに狭く凶作になりやすい土地で、小作人が年貢を納めないと地主が納めなければならない田畑です。だんだん未納米がかさんで地主がつぶれ、村が年貢を毎年高割りで村民に割り当てざるをえません。
このような有様なのでもちろん田畑は売れず、百姓は未納米が出るような田畑をいよいよ所持しがたく、つぶれた田畑や未納米が次第に増え、困難を極めています。この村では酒造をしており、またある者は小商売の利益で所持する田畑の年貢米や村の負担米・伝馬役米等などを支払ってきました。しかし、最近では酒造も損失が多く出て、酒の仕込をとくに減らすか、酒造をやめた者もいます。小商売している者も最近は困窮しており、万事うまくいかずすべて、百姓がつぶれ、困窮を極めている現状は、恐れながら書きようもありません。


前回書いた「鳴海村が年貢減免などを求めた願書」、に続いて その2

 元治元年(1864)11月

前回記載ブログ   ↓
年貢減免願書1

うだつの上がる有松商家
旧東海道筋 有松商家

鳴海宿2

鳴海宿
 旧東海道 鳴海宿 七曲り と街道碑





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